白紙

苦痛の軽減


動物実験における痛み

  哺乳動物では痛みは普遍的なものであり,闘争を避けるためのメカニズムの1つと考えられている.動物の被る痛みの程度は,動物の動作を観察することで判定でき,多くの動物種でヒトの痛みの程度に基づいて判定できることが示されている.しかし,動物の痛みがヒトの痛みと完全に同等であるとはいえない.ヒトの痛みは感情的なものであり,極めて主観的なものだからである.つまり,心理的要素が痛みに影響を及ぼす.

 動物の痛みとヒトの痛みを関連させるためには,ある程度の擬人化が必要である.痛みは極めて主観的な感覚なので,私たちは,動物の痛みに対する反応を反射的,自律的な反応として考えやすい.ヒトでは痛みに対するプラシーボ(偽薬)効果があることは明確に証明されているが,動物ではそのような効果が認められない.一方,痛みをもったイヌを扱う時,言葉をかけて頭をなでるとイヌが大人しくなり,扱いやすくなることはよく知られている.これは,言葉の内容によるものではなく,触ったり,声を出すことによるものである.動物の痛みに対する反応は,あらかじめ動物の気分を整えることにより,ある程度和らげることができる.

動物実験処置の苦痛に関する分類

 今日,適正な動物実験の実施のため3Rの原則が確立されている.3Rの原則とは,前述のとおりRussellとBurchによって提唱されたもので,動物実験の実施に際してReplacement(動物実験の他手段への置換),Reduction(使用動物数の削減),Refinement(麻酔,鎮痛剤の使用や実験技術・精度の向上により動物が受ける苦痛の軽減)のそれぞれRではじまる単語に代表される事柄へ十分配慮して動物実験を実施しようとするものである.すなわち,3Rの原則に則って動物実験を実施することが適正な動物実験実施につながる.

  3RのうちRefinementを検討するためには,動物実験処置によって動物が受ける苦痛の判断基準が必要である.動物実験における苦痛の評価は,動物が被る苦痛と研究成果とのバランスの観点から実験者自身が行い,さらにその妥当性を動物実験委員会が判断すべきものである.しかし,さまざまな動物種への多様な実験処置に対する苦痛の程度を一律に分類・評価することは極めて困難である.日本では統一された苦痛の分類はないが,北米の科学者の集まりであるScientists Center for Animal Welfare(SCAW)が作成した苦痛分類に準拠しつつ,各研究機関がそれぞれの状況に合わせた苦痛分類表を作成して活用している例が多い.以下は,国立大学法人動物実験施設協議会によるSCAWの苦痛カテゴリーの解説である.

苦痛カテゴリー検索表


カテゴリーA:生物個体を用いない実験あるいは植物,細菌,原虫,または無脊椎動物を用いた実験.

  生化学的研究,植物学的研究,細菌学的研究,微生物学的研究,無脊椎動物を用いた研究,組織培養,剖検により得られた組織 を用いた研究,屠場から得られた組織を用いた研究(※1),発育鶏卵を用いた研究(※2)が該当する.無脊椎動物も神経系を持っており,刺激に反応する.従って,無脊椎動物も人道的に扱われなければならない.

(※1)動物実験を規制する日本の法律では,規制対象動物を爬虫類以上としている.そのため,これらの研究に関する実験計画書は動物実験委員会の審査対象外である.しかし,動物福祉の観点からは動物実験に代わる代替法を考慮する必要があり,もし動物を用いずに実験目的を達成できる場合には,これらの方法を考慮すべきである.また,他の研究者が実験に用いた安楽死後の動物の器官や組織を共有することは,動物の使用数を減らすことにつながるので望ましい.

(※2)発育鶏卵を使用する場合には,もし孵化が実験に必要でないならば,卵は孵化の前に破壊しなければならない.孵化させる場合には苦痛のカテゴリーはB以上となる.なお,胎子の実験についてはSCAWの分類に記されていないが,胎子の苦痛やストレスについては判断の分かれる.イギリスの動物(科学的処置)法1986[Animals (Scientific Procedures) Act 1986]では妊娠期間の半分を越えた場合,動物個体として同等に扱っている.


カテゴリーB:脊椎動物を用いた研究で,動物に対してほとんど,または全く不快感を与えないと思われる実験操作.

 実験の目的のために動物をつかんで保定すること.あまり有害でない物質を注射したり,採血したりするような簡単な処置.動物の体を検査(健康診断や身体検査等)すること(※3).深麻酔下で処置し,覚醒させずに安楽死させる実験(※4).短時間(2〜3時間)の絶食絶水(※5).急速に意識を消失させる標準的な安楽死法.例えば,麻酔薬の過剰投与,軽麻酔下あるいは鎮静下での頸椎脱臼や断首等(※6).

(※3)獣医療で通常行われる診断・治療処置と同等の処置.例えば,健康診断のために必要最小限度の拘束.薬物の投与等の注射と採血.脳波,心電図,筋電図の測定等がある.

(※4)外科的手術を伴う非存命実験等が該当し,処置中,処置後に意識を回復させない実験.使用する麻酔薬は,動物種に合った適切なもので,現在の医療あるいは獣医療で一般的に使われているものとする.なお,多くの麻酔薬は要指示薬であることにも留意する.

(※5)SCAWの分類では2〜3時間(a few hours)となっているが,動物種によって代謝時間が異なることから,許容される絶食・絶水時間の長さを一律に定めることはできない.麻酔の前処置あるいは血清生化学検査のための採血等のために10数時間程度までの絶食(水は自由摂取)を行うことは認められる.また,マウス,ラット,ウサギのように麻酔による嘔吐をほとんど無視できる動物では,麻酔の前処置としての絶食は必要ない.なお,長時間の絶水は,絶食以上に動物の生理状態や代謝に影響することから特に注意を要する.

(※6)深麻酔下での放血やKCl等の投与は,安楽死法として認められる.齧歯類の頸椎脱臼は,熟練者が行う場合は 無麻酔でも認められる.


カテゴリーC:脊椎動物を用いた実験で,動物に対して軽微なストレスあるいは痛み(短時間持続する痛み)を伴う実験

  麻酔下で血管を露出させること,あるいはカテーテルを長期間留置すること(※7).行動学的実験において,意識ある動物に対して短期間ストレスを伴う保定(拘束)を行うこと(※8).フロインドのアジュバントを用いた免疫(※9).苦痛を伴うが,それから逃れられる刺激(※10).麻酔下における外科的処置で,処置後も多少の不快感を伴うもの(※11).カテゴリーCの処置は,ストレスや痛みの程度,持続時間に応じて追加の配慮が必要になる.

(※7)これらの処置を行うに当たっては,術後の感染防止に配慮する.処置後に動物の意識を回復させない実験はカテゴリーBに含まれる.麻酔から覚醒後もカテーテルを留置させる場合には,*11を参照.

(※8)ストレスが生体に及ぼす影響を調べるための実験.例として,拘束ストレス負荷後の血中ホルモン濃度の変化の測定.モンキーチェアやボールマンケージを用いる実験はこれに該当し,拘束器具への馴化,拘束期間中の監視あるいは頻繁な観察,実験の中断や終了時期の判断に特段の配慮をすべきである.情動的反応が高い霊長類等で特に注意を要する.

(※9)SCAWの分類ではフロインドのアジュバントを使用する実験はカテゴリーCとしているが,フロインドのコンプリートアジュバント(FCA)は動物が被る苦痛が大きいことから,最近ではカナダ動物管理協会(CCAC)の分類も含めカテゴリーDとしているところが多い.FCAのフットパッドへの接種は苦痛が大きいことから避けるべきである.インコンプリートアジュバントを使用する実験はカテゴリーCである.FCA以外のより苦痛の低いアジュバントの選択も考慮する.

(※10)これらに該当する実験には麻酔薬や鎮痛薬の効果を調べるためのテイルフリック試験,ホットプレート試験,電気ショックを用いたフリ ンチジャンプ試験,つまみ試験等が含まれる.このような試験において動物に与える苦痛は効果を判定出来る最小限の苦痛でかつ,必要最小の時間で行うように制限する.例えば,ホットプレート試験では温度を50℃以上にする必要がある.しかし,動物の足組織の損傷を避けるために上限は70℃以下とする等が一つの目安と考えられる.この種の実験のポイントは,苦痛を起こす刺激からの回避が可能なことである.実験装置の不具合等により刺激からの回避が不可能になると,実験の目的以外の苦痛を強いるので特に注意が必要である.

(※11)例として,処置後の苦痛の程度が軽微な開腹手術,開胸手術,開頭手術,整形外科的手術が該当する.術後管理に配慮すべきであり,特にイヌ,ネコ,霊長類等では,通常の臨床獣医学的な術後管理を目指すべきである.体内に電極等の器具を埋め込む場合にも,麻酔下で無菌的に行われなければならない.術後の苦痛あるいは感染症を予防するために鎮痛剤や抗生物質の投与が考慮されるべきである.麻酔薬,鎮痛剤および鎮静剤の選択と投与量は動物種によって異なるため,その動物種に適したもの,さらに実験の目的に適したものを使用する.同じ処置であっても,動物種,処置部位・程度,術者の経験,術後管理等により動物が被る苦痛は異なり,処置後の不快感の判断についても非常に難しい.そのため行う処置がカテゴリーCに属するかDに属するかは判断の分かれるところであり,各機関の委員会で動物が被る苦痛と研究成果のバランスに基づいて判断することになる.


カテゴリーD:脊椎動物を用いた実験で,避けることのできない重度のストレスや痛みを伴う実験.

  行動面に故意にストレスを加え,その影響を調べること(*12).麻酔下の外科的処置で,処置後に著しい不快感を伴うもの.苦痛を伴う解剖学的または生理学的欠損,あるいは障害を起こすこと(*13).苦痛を伴う刺激を与える実験で,動物がその刺激から逃れられない場合(*14).長時間(数時間あるいはそれ以上)にわたって動物の身体を保定(拘束)すること(*15).本来の母親の代わりに不適切な代理母を与えること(*16).攻撃的な行動をとらせ,自分自身あるいは同種他個体を損傷させること(*17).麻酔薬を使用しないで痛みを与えること.例えば,毒性試験において,動物が耐えることのできる最大の痛みに近い痛みを与えること(動物が激しい苦悶の表情・動作を示す場合).放射線障害を引き起こすこと.ある種の注射,ストレスやショックの研究等(*18).カテゴリーDに属する実験を行う場合には,研究者は動物に対する苦痛を最小限のものにするために,あるいは苦痛を排除するために,別の方法がないか検討する責任がある

(*12)行動ストレスとして,強制走行,強制水泳,あるいは運動制限(半重力下の懸垂実験)等が相当し,ストレスの効果として筋肉の解剖学的あるいは生理学的変化をみる実験等が該当する.睡眠行動や食餌行動を変化させ,その効果をみる実験でも重度のストレスや痛みを伴う実験であれば該当する.動物が被るストレスは実験目的を達成するために必要最小限のものとする.

(*13)処置後の苦痛の程度が顕著な開腹手術,開胸手術,開頭手術,整形外科的手術が該当する.*11にも記したが,カテゴリーCの麻酔下における外科的処置で,処置後も多少の不快感を伴うものとの区別がつきにくい.また,同じ個体に対してこのような処置を複数箇所に加えることは慎むべきである.しかし,実験者によってその正当性が説明され,かつ,動物実験委員会がそれを承認すれば,その実施を認めてもよい.

(*14)例として,痛みの研究に関する実験が挙げられる.これについては*10及び*12を参照.また,腫瘍細胞の移植,毒性試験のための化学物質の投与,感染実験,遺伝子改変動物を含む重篤な疾患モデル動物の作出もこの中に含まれる.それらについては*18も参照.さらに,環境中の重力の場,照明,騒音,温度,湿度,大気圧,酸素等を変更する実験もその環境から逃れられないという点でこの中に含まれる.ただし,それにより重度な痛みやストレスが生じなければ,カテゴリーDに相当しない.

(*15)例えば,モンキーチェアやボールマンケージを用いる実験はこれに該当する.長期にわたる拘束は避けるべきであるが,動物を長期間にわたり拘束しなければならない場合には,摂餌,摂水,排泄等,動物にとって生物学的に必要な行動を可能とさせ,動物種によっては適度な運動を与えるべきである.拘束器具への馴化,拘束期間中の監視あるいは頻繁な観察,実験の中断や終了の時期の判断に特に配慮し,拘束による障害が見られる場合には,動物を拘束器具から解放する,あるいは拘束方法を改善しなければならない.

(*16)マウス,ラット,ウサギ等ではそれらのSPF化にあたり,代理母を与えることは一般に行われており,カテゴリーDには相当しない.しかし,この処置は緊密かつ長期間の親子関係を構築する霊長類では,特に配慮が必要である.

(*17)動物の中枢神経系を傷害するような研究において,自分自身あるいは同種同居個体を損傷させるような攻撃的行動を取ることが考えられる.そのような実験では処置後の動物を十分に観察し,飼育方法についても特別な注意を払う必要がある.

(*18)放置すれば死に至るような発癌実験あるいは腫瘍の移植実験,感染実験,重篤な病気の疾患モデル動物(遺伝子改変動物を含む)を用いた実験等もカテゴリーDに含まれる.このような実験では,できるだけ早い時期をエンドポイントにして,動物が被る苦痛やストレスを最小限に抑えるべきである.頻繁な観察により苦痛の徴候を判断し,実験目的の範囲で苦痛軽減の処置や安楽死を施す.例えば,腫瘍が体重の10%を超えた場合,2〜3日の間に20%以上の体重減少あるいは7日で25%以上の体重減少が予想される場合に安楽死を考慮すべきである.それができない場合には,実験の正当性を実験計画書に詳述する必要がある.実験処置により受ける動物の苦痛について,生理学的反応等から動物はヒトに比べて感受性が低いとする考え方がある.一方,動物が感じる苦痛の程度はヒトが感じる苦痛の程度と同程度であるとみなして判断しようとする考え方もある.このため,カテゴリーCまたはDの判断は,研究者が実験処置の必要性や代替手段の有無,苦痛軽減のための配慮,研究の社会的意義等について十分な説明を行い,委員会はその妥当性を判断しなければならない.


カテゴリーE:麻酔していない意識のある動物を用いて,動物が耐えることのできる最大の痛み,あるいはそれ以上の痛みを与えるような処置.

  手術する際に麻酔薬を使わず,単に動物を動かなくすることを目的として筋弛緩薬あるいは麻痺性薬剤,例えばサクシニルコリンあるいはその他のクラーレ様作用を持つ薬剤を使用すること(*19).麻酔していない動物に重度の火傷や外傷を引き起こすこと(*20).精神病のような行動をおこさせること(*21).ストリキニーネを用いて殺すこと(*22).避けることのできない重度のストレスを与えること.ストレスを与えて殺すこと(*23).カテゴリーEの実験は,それによって得られる結果が重要なものであっても,決して行ってはならない.カテゴリーEに属する大部分の処置は,国の方針によって禁止されている(*24)

(*19)筋弛緩薬は,全身麻酔等の適切な処置が施されていなければ使用してはならない.筋弛緩薬だけを用いて動物を不動化することは認められない.これらの薬剤が麻酔薬と併用して使用される場合には,麻酔の深度が適切に保たれるように注意しなければならない.

(*20)SCAWの分類では,麻酔していない動物に重度の火傷や外傷を引き起こすことを禁じている.しかし,処置中,必要なら処置後に麻酔や鎮痛薬を投与して行うことは許される.ただし,その場合にも十分な正当性があり,委員会の承認が必要となる.

(*21)イヌ,ネコ,霊長類等の高度の情動反応を示す動物に対して極度のストレスを加えることにより,精神病のような行動をおこさせる実験は止めるべきである.精神病モデルはラット等を用いることが多いが,イヌ,ネコ,霊長類等を使用しなければならない場合は,実験者はその正当性を示し,動物実験委員会が動物が被る苦痛と研究成果のバランスを基にその正当性を確認すべきである.

(*22)硝酸ストリキニーネあるいは空気栓塞により動物を殺処分することは,「実験動物の飼養及び保管等に関する基準の解説」にも記されているように禁止されている.

(*23)動物を叩いたり,押しつぶしたりして殺すこともこの中に含まれる.動物を殺処分する場合には日本で認められている安楽死法を用いる.安楽死法に関しては*6を参照.

(*24)SCAWの分類では,「カテゴリーEの実験はアメリカの方針で禁止されている」となっているが,SCAWの分類が掲載されている論文(ConsensusRecommendation on Effective Institutional Animal Care and Use Committees)では,カテゴリーEの処置については各研究機関で独自の方針を持つことが望ましいとされ,カテゴリーEの実験であっても研究機関の動物実験委員会が正当性を認めれば,実施することも可能であると理解される.